菜園2

なぜ、野菜を作るのか、、の続きです。
誰も興味ないかもですが、、

大阪を離れ、どこかで農業をしながら生きていくのはどうしたらいいか?
どこで住めばいいのか?

まだインターネットもそれほど普及しておらず、検索してもわずかな情報だけ。
農業系や田舎暮らしに関する雑誌、書籍などを頼りに、いろいろ調べて、、、
様々な場所にメールや手紙を送り、見学、体験、をお願いしました。
その中で、お返事をいただけた所に電話をして、お話を伺いその上で、現地へ赴きました。
1998年の秋だったと思います。私は33才でした。

それまでの時間で、強く影響を受けた書籍が2冊。

「わら一本の革命」福岡正信 著
「中島式自然卵養鶏法」中島正 著

詳しくはここでは書きませんが、人が田舎でどう自給するか、そのテクニックと理念が網羅されており、
激しく感動したことを覚えています。

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いろいろ行った中で、もっとも印象的だった場所は、那智勝浦町の色川という地域の耕人舎というグループでした。

色川という熊野の奥深い山中に、有機農業を主軸とした自給的生活を行う家族が、
40世帯近く移住しており、その求心力が村山彰夫さんという方が率いる耕人舎でした。

清らかな熊野の源流水が流れ、空気は澄み渡り、素晴らしい自然環境。
山林の間には、美しい棚田が形成され、一目で住みたくなりました。
大阪から車で6時間以上かかる、関西とはいえ、都会社会からは隔絶された場所でしたが、
みなさん自然卵養鶏で現金収入と鶏糞を確保、その鶏糞を堆肥化して米や野菜を作るという
理想的な技術で生計を立てておられました。(問題はのちに発覚)

私が興味があった「福岡式」の無耕起自然農法は、みなさん口を揃えて、
「アレは無理。あれでは生活できん」と言っておられました。
(なぜだか、あとで私も理解できましたが、、)

そこは、いち早く廃校になった小学校を農業体験などで訪れた人を泊めることができる宿舎に
していたり、有機農業研修生を受け入れる組織ができていました。
その制度を利用して、1月1万円の利用料を払ってその施設に泊まり、
農家さんを日替わりで周り、仕事のお手伝いをしながら、それぞれの家族から田舎での
暮らし方などをヒアリングしつつ、移住するかどうかを検討、決定するという
流れでした。

行った季節が秋だったので、稲刈りの手伝いや、田んぼの草の草刈り、その草を鶏舎へ運び
鶏のエサやりなど、いろんな仕事をしましたが、、
慣れない作業で、汗がほとばしり、汗をかくほどに疲労困憊し、
作業終わりにビールを買いに行った雑貨屋のおばちゃんから、
「そんなに汗を書くようじゃ、あんたは農業むかんね。」と断言されたり、、、
しかし、作業後のビールは、この世のものとは思えないほど、甘露そのものだったり、、

とても濃密で素晴らしい日々でした。
で、私はそこに惚れ込んでしまって、移住を決心し、世話役の村山さんにも伝え、
住む家も、田んぼも確保していただき、あとは一旦家に帰って、荷物を運び込むだけ。
その晩は、色川のみなさんで歓迎会まで開いていただき、
移住の挨拶までさせてもらったのですが、、、

そのあと、大どんでん返しが待っていたのでした、、、、・

つづく


by sketchfarm | 2018-11-20 16:11 | ひとりごと | Comments(0)
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