作為と無作為

絵画というものは、作為と無作為のはざまで揺れながら制作しているようなものだと
思います。
作為的な絵はしらじらしく、つまらなく、固く、魅力に欠けます。
しかし、理性的な計画や技術がない絵画は成立しません。

無作為や無意識で描くという事も、幼児の作品など、無欲かつ無自覚で描かれた
ものの中に、きらめきの様な美が宝石の原石のように、見いだされる事がありますが、
それが芸術といえるかどうか、判断が難しいところです。

スケッチや素描の途中、長期にわたるタブロー制作のうちのほんの一瞬に
我を忘れていて、いつのまにか夢中になって時間がたっていた、、
そんな後で気付くような事も時々ありますが、
それが、絵画制作の楽しみであり、魅力だなあと、常々思います。

今回のドローイングでは、そういう瞬間を、意識的に作り出すために、
音楽に酔いしれ、お酒に酔い、あえてコントロールの効かない割り箸という画材を使うことで、
無作為、無自覚に近い状況を作り出そうとしました。

ある程度、狙い通りにいった部分もありますが、なかなか作為というものから
抜け出せるという事は難しい。
相当酒を飲み、気を失う直前くらいまでいかないと無理かもしれませんが、
そんな事をしていたら絵筆など握れませんね。
体ももちませんしね(笑)

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by sketchfarm | 2014-08-04 22:15 | ひとりごと | Comments(0)
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