恩師、永沢まこと先生宅訪問と、白日会研究会への参加のため、
上京しておりました。
永沢先生には、1年ぶりにお会いでき、また色々お話ができてよかったです。
なかでも人物画の2000年以上にわたる研究成果を、
名画とスケッチ生徒ふくむスケッチ作品をファイリングされ、
美術史の文脈のなかでのスケッチ表現の位置づけを理論化されようとしている
お姿に感動しました。
お宅にはアルルでご一緒した方々に集まっていただき、再会を喜びあいました。
白日会の研究会は、上野の日展会館でおこなわれ、全国から200名近い作家が
自身の作品を持参して、講評会に望みました。
ここでは、会員や一般など経験など一切、わけへだてなく、きびしく評価されていました。
私の順番がくるまで5時間以上かかりましたが、他の方の作品への講評が興味深く
勉強になりました。
この時代にあって、永沢先生をとりまく人々も、
白日会の人々も、
美しいと感動した想いや真実の美をみつめ、
正しく美しく、感動をもって、
写真などにたよらず、
自分らしく表現しようと試みる方々がおられる事に感銘を受けました。
時代の先端を走る事もいいですが、
単なる資材遊び、人の目を驚かせる事ばかり追うアート、
哲学的でありさえすれば技術など良しとする傾向、、
誰かがやっていない事をひたすら探し続けること、、
誰かに発見されるまで、飽きずに同じ事を永遠に繰り返す人、、
そういう芸術表現には懐疑的です。
それならば、米や野菜をつくるほうが何倍もましだという思いで
鹿児島へ走ったのが15年前。
写実的絵画の世界も、農業も、伝統工芸も、高齢化が目立ちます。
多くの若者が目を向けない世界こそ、大切な真実が隠れているように感じます。
大多数が向かう反対の方向へ走れ!
と私の心の中の本能が叫びます。
そこにこそ、アートの可能性と存在意義がある。
今の世にこそ、写実的表現が見直される時代と思います。