衝動をこえて

台風は風が吹くこともなく過ぎ去りそうです。

さきほどNHKで棟方志功の番組を見ました。
1970年のもので、おそらく子供の頃見たような記憶がある。
あの牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて、板すれすれに顔をすりつけるように
一心不乱に彫刻刀をふるう姿は脳裏にやきついていた。

それを片岡鶴太郎さんが紹介するという体裁で進んで行くのだが、
棟方志功がゴッホにあこがれて画家をめざしたこと、
棟方芸術の原点には、青森のねぶたがあったこと、、、など驚きの内容でした。

棟方志功、ゴッホ、片岡鶴太郎、、、
その共通項が片岡さんが語っていた言葉であらわされる。

「うまく描こうと描くのではなく、感じたもの告白するように描く。」
「見えるような色をつけるのではなく、感じた色をつける」

その内容は、永沢まこと先生が常におっしゃられている事とまったく同じであり、
「感動がなければ生きたスケッチがかけない」という平山郁夫先生のことばとも
共通するものだ。

永沢先生も、片岡鶴太郎も、ほぼ40才で人生に、区切りをつけていたというのも、
自分も、40才でスケッチを始めたことを思えば、次元がまったく違うとはいえ、
なにやら勇気づけられたものを感じました。

私事ながら、18才ごろから本格的に絵を描き始めたころは、
やはり絵を描きたい衝動や将来への不安、精神性の高みへの希求などがテーマになって
いたように思う。

学生時代の絵には(イラストなのか、絵画なのか??という議論をよくしていた)
よく「塔」のモチーフが現れていた。
仏教であれ、キリスト、イスラムであれ、宗教的精神を物質として表現した建築物
としての「塔」が、天という精神の理想や気品へすこしでも近づきたい、、、という
ある種の「救い」としての思いを絵にしていたように思う。

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”The golden tower" 1650×800 1985年 木にアクリルなど

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”I fouund that i had been deceived" 1800×1800 1986年 木にアクリルなど

こういった図象的な表現は、その後、内面的で衝動的な内容に変化していき、
「怒り」や「焦り」といった感情的な衝動を大きな画面にそのまま体ごとぶつける、、
ような表現へと変わっていった。
生活のため、表現のもう一つの柱であるデザインの仕事でのストレスや悩みなども
そのままキャンバスへぶつけていたようだった。

あれから20数年、自分の人生において、ひとつだけ自分が誇りに思えるとしたら、
常に「何かを表現したい!」というわき上がる衝動に、
自身でもあきれるほど正直に生きてきたということぐらいだ。

後先考えず、利益を計算せず、将来の設計や方策などなんにも無しに、
やりたいことだけに挑戦してきた。
ただそれだけは、誇りをもっていえます。

ただこれまでは、どうだろう、、、
やはり粘りとパワーが長続きしない。という欠点があった。
能力や技術などを、出し惜しみをするような生活をしてきたように思える。

もともと徹夜などしないタイプ、夏休みの宿題も、最初の3日くらいで
全部すませてしまうような子供だったからか、
なにごとも、必死でとりくむということをしてきてこなかった。

またそれは、一時期農業を主眼に置いていた時、あまりの自分の体力のなさに、
いかに仕事を省力化するか、、、という事を考えないと、すぐつぶれてしまう。
という危機感から、できるだけ力を出さずに、日々365日仕事をするか、、という
クセがついたからかもしれない。
そうでもしないと倒れてしまい、日々の生活がなりたたなくなるからだ。

しかし、あらためて、棟方志功さんの映像を見て、
表現には、パワーがいる!と実感できた。

永沢先生のパワーもすごい、
ゴッホのパワー、
棟方志功のパワー、
佐伯祐三の命を削るようなパワー、
エゴンシーレのパワー、
青木繁のパワー、

命を削るようなパワーを絵画に注入することができるか??
ほんとうに命を削って描いた画家は短命だったりする。

パワーのある絵も描きたいが、長生きもしたいという欲張りな私は、
絵とどのようにたちむかえばよいのだろうか、、、などと考える。

「つべこべいう前に、はやく描け!1枚でも多く描け!」

というもう一人の自分の声が、どこからか聞こえては来るのですが、、、ね。
by sketchfarm | 2011-05-29 15:54 | ひとりごと | Comments(2)
Commented by 撮影監督 羽生孝文 at 2011-05-29 17:36 x
この業界長いですけど、まあクリエイティブなどまずないですね!
クリエイティブって言っている人間が一番にそんな物もっていないし、、、、。

岡本太郎展に行った時、映像の中で僕が考えている事と
同じ様な事を言っていて感動したが、
仕事でそんな事やったらすぐ首になる訳で
ビジネストして割り切らなければならない現実があります。

その時代に出て来た人って、時代がその人のパワーを
求めていた。
んー、タイミングの良さと言うか。
なんかそんな感じがする。

今の時代何が正しいのか全く分からない。
やったもの勝ちみたいな所が合って
それに技術、能力がなくても成功したりする。

それは判断する人の能力がデジタル社会のせいで
止まっている様な気がする。(デジタル全てを否定はしない)


浜地さんとそんな事、いろんな事、焼酎飲みながら
話してみたいですね!
あと、スケッチって誰が書いても心が穏やかになるのはなぜ?
とか、、、、。





Commented by sketchfarm at 2011-05-29 20:23
羽生さん、お久しぶりです。

自慢めいたことをいってお恥ずかしい限りです。
やりたいことをしてきた、、と
えらそうに申し上げましたが、別のいい方をすれば、
ある意味自分が生きやすい環境を求めて、さまよって流れてきただけ、、
ともいえます。

現実の社会においては、仕事や立場のために自分の考えとは一致しない事でも
遂行せざるを得ない場面は多々ありますよね。

私の場合は、自分の命を充分100%使ってきたのだろうか??という問いに、
おそらく自動車でいえば、せいぜい3〜4000回転程度しか回してこなかった人生を
歩んできたように思う。行き先を変えながら、、、
フルスロットルで駆け抜けたら、おそらくそれなりの結果がでるような気がしますが、
それこそすぐ死んでしまいそうです。

目標1直線にフルスロットルで走りきった人のパワーはすごい。

スケッチは畑仕事に似て、ほぼ100%誠実な行為で、やってて安心感があります。
それが人の心を穏やかにさせるのでは?
そのうち、焼酎のみましょう〜
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